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あの感動をもう1度 [Sony Sendai FC HISTORY]

クラブ創立50周年企画 ~Sony Sendai FC History~


ソニー仙台FCは今年でクラブ創立50年目となります。

生誕50周年特別企画「Sony Sendai FC History」は、これまでソニー仙台の歴史を鮮やかに彩ってきた選手・スタッフが語り手となって、自らの記憶の中で、今でも鮮明に覚えている思い出の試合や出来事を振り返っていただくコーナーです。

第7回目の語り手は、チーム在籍13年、ミスターソニー仙台と呼ぶ方も多いこの方、
村田純平さんです!!


Episode 7


「あの感動をもう一度」



2015年、第17回JFLチャンピオンシップ、相手はヴァンラーレ八戸。

応援バスで沢山のサポーターが八戸まで来てくれた中、私たちは大事な初戦を落としてしまった。
負けた事はもちろん、思うように体が動かない自身の低調なプレーに腹が立った事を覚えている。

この年は開幕当初からチームの勝利に貢献することでき、キャリアの中でも充実したシーズンとなっていたが、出場時間が増えることに比例して、古傷の膝へのダメージは膨らんでいった。
月日と共に、痛みは増すばかりであった。

「初戦のパフォーマンスだと、第2戦の起用は難しい」

練習後、当時監督の石川さんにそう言われた。当然だと思った。
何も言わずにメンバーから外すことも出来た中、そのような言葉をかけてくれた石川さんの優しさを感じた。

夢にまで見たソニー仙台FCのJFL制覇。初戦に負けたとはいえ、
ソニー仙台FCを応援してくれる全ての人の悲願が、すぐ手の届くところまで来ている。

私は、今まで止められていた1番効果の強い痛み止めを打ってもらうことを決断する。

あと1試合で膝が壊れてもいい。本気でそう思った。
それほど私は、ソニー仙台FCを優勝させたいという気持ちが強かった。

「膝が軽い!これならやれる!」 痛みを感じないでプレー出来るなんて、何年振りだろう・・・。

迎えた2015年12月5日、チャンピオンシップ第2戦、会場はユアテックスタジアム。
今まで感じたことのない雰囲気、緊張感がスタジアムを包む中、練習でのパフォーマンスが評価され、64分から途中出場。

出場して5分後の69分、ゴールは生まれる。泥臭く、決して美しいゴールではない。
もっと豪快なシュートも決めてきた。
それでも、沢山の方の想いを形に出来たあのゴールは、私のサッカー人生の中でのベストゴールだと思う。

PK戦の末、我々はJFL初優勝を成し遂げた。

震災で甚大な被害を受け、一時は活動休止。復帰後の順位は最下位。
Jリーグに昇格するチームが無ければ、私たちは地域リーグに降格していた。
本当にどん底からの再スタートだった。

そんな状況の中でも、沢山のOB、チーム関係者、スポンサー企業の方々、
会社の皆さん、サポーター、多くの方がこのチームを支え続けてくれた。


私は若いころ、自分の為だけにプレーしていた。自分さえ良ければいいと思っていた。
それがいつの間にか、気づけば誰かの為にプレーしていた。

優勝したあの瞬間、辛い時期からずっとチームを支えてくれた皆さんと、
喜びや感動を共有できたことが何より嬉しかったことを今でも鮮明に覚えています。

もう一度、あの感動をソニー仙台FCに関わる全ての方と共有したい。
決して簡単な事ではないけれど、ソニー仙台FCなら成し遂げられると私は信じています。

ソニー仙台FCをいつも応援してくれる皆さん、
今後も変わらず、熱いご声援を宜しくお願いします。

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村田 純平 

ポジション:FW

宮城県出身。

ソニー仙台FCの9番を背負い、長らくソニー仙台FCを牽引。
ケガに泣かされることが多く、3度の手術を経験するものの、JFL通算255試合出場という
当時のソニー仙台FCの出場記録を樹立。
※現在は#4瀬田選手の310試合。記録更新中(18.10.29時点)

震災後初勝利へ導く決勝ゴールや、チャンピオンシップでのゴールなど、
ここ一番での勝負強さには定評があった。


<経歴>

東北高等学校 ⇒ 東北学院大学
  
2004年 ソニー仙台FC 入団。
     同年、埼玉国体で優勝

2008年 JFL創立10周年記念海外遠征メンバーに選出。

2015年 第17回JFL優勝 

2016年 JFLレジェンド選抜メンバーに選出。
     同年、現役を引退



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