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「当たり前」という錯覚 [#2三浦 祐希]

前回のブログで2件のコメントを頂きました。
モチベーションになります。ありがとうございます。

チャレンジに失敗は付きものです。
たとえ失敗を経験したとしてもそれを受け入れ
自分の中で試行錯誤を繰り返し
成功へと辿り着いたときにその失敗が必要であったことに気づき
そこで失敗だった過去が成功へと書き換えられます。

これからもいろんなことに挑戦をし、失敗したとしても
失敗で終わらせることなく、成功へと繋げていきたいと思います。
#2 みうらです。


今、サッカーに打ち込めている環境……

「当たり前じゃねーからな!」

旧#32雄太さんが言っていました。


2011年に東日本大震災が発生し
あれから9年が経つ2020年にはオリンピックが控えています。
宮城で開催できるほど復旧復興が進んでいるのか。
個人的に疑問を持ち、震災について少し調べてみました。
当時の被害がそのままになっている
「宮城県石巻市立大川小学校」の存在を知り
現地へ行ってきました。


3/11…
地震発生後に津波警報が発令され、市の広報車から高台へ
避難するよう指示が出て教職員・児童たちは、校庭に避難しました。

学校のすぐ裏には課外授業などを行っていた裏山がありそっちに避難しよう。
という声もあったそうですが、校庭が安全だと判断し
裏山には避難しませんでした。
校庭に避難した子供たちは、心細さ・不安・恐怖でいっぱいだったと思います。
そして地震発生から約50分後。
避難場所にも指定されている安全な場所のはずだった小学校を
一瞬にして津波が襲い、多くの人たちが犠牲となってしまいました。


裏山に避難をしていれば。

と、たらればになってしまいますが
みんなそれぞれ思うところがあると感じました。
今まで、震災についての話は耳にしてきましたが「百閒は一見に如かず」という
言葉があるように改めて甚大な被害を受けたのだと痛感しました。



選手たちが働くソニー仙台TECも震災の被害を受けました。
チームは開幕戦を控えた練習中でした。
練習場から会社に戻ったある選手は、売店のお菓子を小分けにし
各建屋に配布して雪降る中ダンボール1枚で寝たそうです。

翌日の食料はポッキー3本。

震災の影響でチームは無期限の活動休止となりました。

選手たちは会社の泥かきなどを行い
まずは会社が復旧・復興しなければどうにもならないと
チームとしてサッカーをすることはほぼ諦めに近い心境だったそうです。

それから避難所でサッカー教室を数多く開催し
「サッカーで宮城を元気に」を合言葉に
会社から?復興のシンボル?になろうと
後期からリーグ戦復帰を果たし、JFL残留することが出来ました。


いま、ソニー仙台FCとしてサッカーができているのは
震災でのチームの窮地を救ってくれたOBの方々や
会社の人たち、ファン・サポーターなど
色々な人たちのおかげでチームの存続があるからです。


サッカーが出来ることは決して当たり前ではないし
サッカーが出来る日常をありがたいと感じなければならない。


常に応援してくれる職場や会社の方々
ホーム、アウェイ問わず
会場で声援送ってくれるサポーターがいる。

ソニー仙台FCとしてサッカーをすることができ
さらにたくさんの方々に応援してもらえているこの状況...


「当たり前じゃねーからな!」

自分に言い聞かし頑張ります。



引き続きソニー仙台FCの応援をよろしくお願いします。


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コメント欄へのコメントもぜひよろしくお願いします。

P.S #8慎也くん お誕生日おめでとうございます。

タグ:サッカー JFL
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