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金井冬土の過去〜小学生編〜

こんにちは!
いつも応援ありがとうございます!
#13ふゆとです。

先日のアウェイゲームの際、メンバー外の選手から「頑張ってこいよ!」と言われた時に、
出たくても出られない選手がいるんだと改めて感じました。

試合に帯同する選手は、試合に帯同できない人のためにも、自分のできる事を全力でやる。
たとえ勝利できなくても、全力で走り、全力で闘い、試合を見てくれた人の心に響くような
プレーをしなければいけないと改めて強く感じました。

タイトルの通り、今回のブログでは、金井冬土のサッカー人生(小学生編)を
お話ししたいと思います。

幼稚園の頃にサッカーをはじめて、本気で取り組み始めたのは小学生の頃。
千葉県習志野市の、「藤崎SC」というチームでサッカーをしていました。

「藤崎SC」は、現在ではどうか分かりませんが、当時は県大会ベスト4常連の、
千葉県では強豪と呼ばれるチームでした。

「藤崎SC」の頃は主に右サイドハーフをやっていて、
裏街道という、足の速い選手が得意とする技を連発し、得点を量産していました。
ソニーでいえば、#15啓太郎のようなプレーをしていました。

kanai1.png
※8番が自分です。

「藤崎SC」では、スタメンで安定して試合に出場できていたので、卒業まで所属する
つもりでしたが、「藤崎SC」を辞めて「vivaio船橋」というチームへ移籍することにしました。

「vivaio船橋」へ移籍後、練習前に遊びでキーパーをやっていると、
シュートへの反応の良さを評価され、キーパーの人数が足りなかったこともあり、
キーパーをやってくれと頼まれます。

キーパーをちゃんとやったことがなかった僕は、
軽い気持ちでキーパーをやる事を受け入れ、
最初はCチーム(チームの中で1番下のカテゴリー)のキーパーを務めました。

kanai2.png
※キーパーの頃の金井冬土(黄色いユニホーム)

やってみると、
アップは地味にキツいし、めちゃくちゃ汚れるし、点を取られるとフィールドプレーヤーから、
「それ止められないの?……」みたいな冷たい目で見られるし、最悪なポジションでした。

嫌々で続けて1ヶ月程経った頃、
Bチームのキーパーへ昇格し、
Bチームで半年ちょっとプレーすると、抜群のシュートストップを評価され、
小学6年生の1番最後の大会では、Aチームのキーパーとして試合に出場していました。
(フィールドプレーヤーだった頃はCチームでした。キーパーでAチーム昇格!!)

始めた頃は嫌だったキーパーでしたが、ピンチを防いだ時に仲間が寄ってきてくれるのが
嬉しくて、キーパーというポジションが好きと思えるようになっていました。

このブログを書いているうちに、キーパーというポジションの辛さを思い出したので、
これからはキーパーにもっと優しくしてあげようと思いました。笑

小学生編はここまでです。
次は中学生編を書こうと思います。
果たしてこのままキーパーを続けるのか。
フィールドプレーヤーに戻るのか。
お楽しみに。

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