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Episode2 だからサッカーはやめられない [Sony Sendai FC HISTORY]

クラブ創立50周年企画 ~Sony Sendai FC History~


ソニー仙台FCは今年でクラブ創立50年目となります。

生誕50周年特別企画「Sony Sendai FC History」は、これまでソニー仙台の歴史を鮮やかに彩ってきた選手・スタッフが語り手となって、自らの記憶の中で、今でも鮮明に覚えている思い出の試合や出来事を振り返っていただくコーナーです。

第2回目の語り手は、ソニー仙台FC JFL昇格の立役者、阿部健二さんに登場していただきます!

Episode 2


「だからサッカーはやめられない」


阿部健二


私は、1996年2月にブランメル仙台を(戦力外通告を受け)退団し、東北電力に戻り社業に専念していたが、もう少しサッカーをやりたいという気持ちを持っていた。
ソニーでサッカーができないかと考えた私は、ブランメル時代にも大変お世話になり、その後、ソニー仙台FCでもコーチとして指導いただいた鈴木淳さんを通じて、練習への参加を打診した。しばらく返事がなく諦めかけていたところ、突然、監督の佐藤健さんから電話があり、96年3月末頃から練習に参加させてもらえることとなった。
その年の4月には、千葉恵二、佐藤英二も入団し、チームも強化されていくなか、まじめなサラリーマンであった私は、平日の練習にはほとんど参加できず、自分でも今後どうしようかと考えていた矢先、健さんから声がかかった。「3人入団する予定だったが、1名空きが出た。健二どうだ?」心は決まっていた。(親父に反対されたのは想定外であったが・・・)

そこから私のソニー仙台FCでのサッカー人生が始まった。結局、ソニー仙台FCには9シーズン、34歳までお世話になったが、なかでも一番印象に残っている試合は、1997年全国地域リーグ決勝大会のアルビレックス新潟戦。2-3で迎えた後半18分、ペナルティーエリア外、右サイドのフリーキックの場面。鈴木淳さん考案のちょっとしたサインプレー。ボールの前には見田さんと私。見田さんが蹴るタイミングに合わせ、明間、小林が走りこむ。(これはおとり)、相手DFの集中が一瞬途切れた瞬間、私が蹴ったボールに走りこんできた田端が頭で合わせる。ゴール!決まった!練習したことがここぞという場面できれいに決まった瞬間、「だからサッカーはやめられない!」そう思った。同点としたソニーはその後、見田さん、小林のゴールで逆転し5-3で試合終了。次の日の横河電機戦も何とか引き分けに持ち込み、念願のJFL昇格を果たし、至福の瞬間を味わったことは今でも鮮明に覚えているし、これからも忘れることは無い。

ソニー仙台FCは、今も昔も、沢山の人に支えられ、そして、愛されている素晴らしいクラブです。

これからもソニー仙台FCへ熱いご声援を宜しくお願いいたします。


阿部1.png

阿部健二 

ポジション:MF

右足から繰り出される正確無比なプレースキックで、多くの得点を演出。
第1回JFL、ソニー仙台FCの記念すべき初ゴールは、
彼の直接フリーキックであったことはあまり知られていない。


<経歴>

1989年 東北電力(のちのブランメル仙台)に入団。
1993年 香川国体にて、宮城県初の国体優勝に貢献。
1996年 ソニー仙台FCに入団
1998年 JFL昇格に貢献
2004年 現役を引退



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