ありがとう!! [#6冨澤 右京]
2011年、5月10日 我が家に家族が増えました。
大型犬のラブラドール・レトリバー。名前はバル。当時推定10歳ほど。
震災で被害が大きかった岩手県陸前高田市で保護された犬でした。
たまたま、地元で飼い主の募集をしていて、運命的に出会いそれから共に過ごした5年間。
一緒にいれる時間は短かかったけど、バルのおかげで楽しい日々を過ごすことができました。
2016年5月14日にお別れとなってしまいましたが、その翌年2017年、自分が導かれるようにこの東北の地にやってきました。
東北に行けることになるとは思いもしなかったですし、東北のすばらしさや何か考えるきっかけをを与えようとバルが導いてくれたのかもしれないと勝手に思っています。
東北に来て、震災の話を聞く機会が増え、今の生活が当たり前ではないことに気づかされました。
私は当時チームにはいませんでしたが、ソニー仙台FCも、震災によってチームが存続の危機にあったとお聞きしていて、何としてもチームを残したいと言って下さった会社の方々のおかげでチームが存続できているということを入団してから知りました。
ソニー仙台FCは、現在も多くの方々の支えによって存続できています。
このチームでプレーできていること、支えて下さっている周りの方々への感謝の気持ちを忘れず、支えて下さっている方々を裏切るような中途半端な気持ちで行動することは絶対に許されないですし、常に支えて下さっている方々に恩返しをするという思いを軸に置きながらこれからも自分にできることを考えて、全力で頑張っていくことが自分の使命だと思っています。
偶然かもしれませんが、バルのおかげもあって、東北という素晴らしい場所に来れて、新たな人たちと出会い、様々なことを学ばさせもらって今の自分がいると信じています。本当にありがとう!!
さて、チームは、6月1日から活動が再開し、7月19日の開幕戦に向けての準備が始まりました。
自粛期間中はサッカーができないもどかしさがありましたが、またこうやってチーム皆で活動が出来ることに幸せを感じています。
またスタジアムで、皆さんにお会いできるのを楽しみに頑張ります!
暑くなってきましたが、引き続きコロナウイルスと熱中症には注意して生活していきましょう。
希望は見えてきています。
大型犬のラブラドール・レトリバー。名前はバル。当時推定10歳ほど。
震災で被害が大きかった岩手県陸前高田市で保護された犬でした。
たまたま、地元で飼い主の募集をしていて、運命的に出会いそれから共に過ごした5年間。
一緒にいれる時間は短かかったけど、バルのおかげで楽しい日々を過ごすことができました。
2016年5月14日にお別れとなってしまいましたが、その翌年2017年、自分が導かれるようにこの東北の地にやってきました。
東北に行けることになるとは思いもしなかったですし、東北のすばらしさや何か考えるきっかけをを与えようとバルが導いてくれたのかもしれないと勝手に思っています。
東北に来て、震災の話を聞く機会が増え、今の生活が当たり前ではないことに気づかされました。
私は当時チームにはいませんでしたが、ソニー仙台FCも、震災によってチームが存続の危機にあったとお聞きしていて、何としてもチームを残したいと言って下さった会社の方々のおかげでチームが存続できているということを入団してから知りました。
ソニー仙台FCは、現在も多くの方々の支えによって存続できています。
このチームでプレーできていること、支えて下さっている周りの方々への感謝の気持ちを忘れず、支えて下さっている方々を裏切るような中途半端な気持ちで行動することは絶対に許されないですし、常に支えて下さっている方々に恩返しをするという思いを軸に置きながらこれからも自分にできることを考えて、全力で頑張っていくことが自分の使命だと思っています。
偶然かもしれませんが、バルのおかげもあって、東北という素晴らしい場所に来れて、新たな人たちと出会い、様々なことを学ばさせもらって今の自分がいると信じています。本当にありがとう!!
さて、チームは、6月1日から活動が再開し、7月19日の開幕戦に向けての準備が始まりました。
自粛期間中はサッカーができないもどかしさがありましたが、またこうやってチーム皆で活動が出来ることに幸せを感じています。
またスタジアムで、皆さんにお会いできるのを楽しみに頑張ります!
暑くなってきましたが、引き続きコロナウイルスと熱中症には注意して生活していきましょう。
希望は見えてきています。
再開しました [#4 宮本鉄平]
コロナが少し落ち着いてきましたが、油断せず気をつけていきたいと思います。
こんにちは、#4鉄平です。
最近は自粛期間が続いていて、部屋で過ごす時間が非常に多くなりました。
何してたのかなと考えると特にこれをしたとかはないのですが、少しだけあげるとすると、
いままではなかなかしなかった読書などもするようにしました。
読書は好きではなかったですが、たまにはいいかなと思えました。
何を読んだかは言いませんが(笑)
読書でいろいろ考えさせられました。
あと最近は近くの海に#25ヒカルなどと行ってただただ海を眺めたりしています。
特に会話もなくてもぼーっとしているだけでリラックスできました。(笑)
海もいままでだったら絶対に行かなかったので、これもこのときだからできたことかもしれません。
あとは、帰省などもできないので地元や高校の友達と電話をしたりしていました。
電話するとすごく会いたくなりますが、コロナが完全に落ち着くまで我慢します。
先日、チーム練習が再開されました。
久しぶりにサッカーができる事が、とてもありがたいと強く感じています。
引続き感染へのリスク管理は徹底し、今後も十分注意していきたいと思います。
そして、開幕に向けて良い準備をしたいと思います。
皆さんもどうかお気をつけてお過ごしください。
それでは。
こんにちは、#4鉄平です。
最近は自粛期間が続いていて、部屋で過ごす時間が非常に多くなりました。
何してたのかなと考えると特にこれをしたとかはないのですが、少しだけあげるとすると、
いままではなかなかしなかった読書などもするようにしました。
読書は好きではなかったですが、たまにはいいかなと思えました。
何を読んだかは言いませんが(笑)
読書でいろいろ考えさせられました。
あと最近は近くの海に#25ヒカルなどと行ってただただ海を眺めたりしています。
特に会話もなくてもぼーっとしているだけでリラックスできました。(笑)
海もいままでだったら絶対に行かなかったので、これもこのときだからできたことかもしれません。
あとは、帰省などもできないので地元や高校の友達と電話をしたりしていました。
電話するとすごく会いたくなりますが、コロナが完全に落ち着くまで我慢します。
先日、チーム練習が再開されました。
久しぶりにサッカーができる事が、とてもありがたいと強く感じています。
引続き感染へのリスク管理は徹底し、今後も十分注意していきたいと思います。
そして、開幕に向けて良い準備をしたいと思います。
皆さんもどうかお気をつけてお過ごしください。
それでは。
分岐点 [#2三浦 祐希]
「人生は山あり谷ありで、谷はどれだけ深くてもいい。
それは、経験したことがないくらいの谷を経験したものだけが高い山に登れる」
これはあるサッカー選手の言葉です。
いまの状況の試練など絶対にない方が良いけれど
なんとかみんなで乗り越えていきましょう。
#2 みうらです。
人生とは分岐点の連続であり
日常生活においてさまざまな分岐点に遭遇し選択を迫られます。
それは、小さなことからその後の人生に影響を及ぼすほど重大なこともあります。
いま、振り返るといくつもの分岐点をむかえてきました。
初めての分岐点は小学生のときです。
※自分のプレーに満足いかずむつけているのが私です。(2列目右から2番目)
◆地元の中学に進学をし、部活に入りサッカーをする。
◆地元の中学に進学をし、クラブチームでサッカーをする。
◆私立の中高一貫校に入学をして、サッカーをする。
の3つ選択肢がありました。
これは、両親とも相談し、「中高6年間通う」ことを約束に
中学受験をし浜松開誠館中学校に入学しました。
入学をしてみると、勉強がついていけない。練習が想像以上に厳しい。
公式戦にも使ってもらえない。と自分の選択を間違えのかもと思っていました。
3年生になると徐々に試合にでることができましたが、レギュラーの立ち位置をつかみ取れず中学サッカーを終えてしまいました。
そして次の分岐点です。
◆そのまま進学し、サッカーをする。
◆違う環境でサッカーをする。
の2つの選択肢があり、約束したことや高校選手権に出場するためにも
そのまま進学することを選択し、浜松開誠館高校に進みました。
2年生から試合に出たり、出なかったりの立ち位置となり
3年になってもこの立ち位置が変わることなく
高校選手権も県予選で負けてしまい、出場することができず
高校サッカーが終了しました。
中学生のときは開誠館に進学したことを失敗したと思っていましたが
ここで振り返ったときにやりきった感やサッカーに打ち込んで充実していた日々から開誠館を選択したことは間違ってなかったと実感することができました。
次の分岐点は大学進学です。
周りには高校卒業で働く人たちもいましたが、自分は大学進学しか選択肢がありませんでした。
どこの大学に進学しようか模索しているといろいろなご縁と運が重なったこともありましたが、なぜか全く迷うことなくあっさり決断することができ「愛知学院大学」に進学しました。
おそらく高校の選択をした自分は間違っていなかったと確信があったこととこのまま突き進んでみようという自信があったかと思います。
大学では1年生から試合にでることができ、全国3位も経験することができました。
自分に自信を持つ。ということが大切なのだと感じました。
更なる分岐点です。
4年生になると更なる選択しなければなりません。
◆サッカーを止め、就職をする。
◆サッカーを続ける。
運がよく「ソニー仙台FC」に加入することができ、サッカーを続けることを選択しました。
そしてサッカーをやりたくても出来ない人たちがいる中でサッカーをすることが出来、幸せを感じています。
今後もいくつもの分岐点に遭遇するかと思いますが、そこで分岐点を意識したときはマイナスの感情を持っていると思います。
それでも自分の選択に責任を持って振り返った時に「あの選択は、正解だった」と
思えるように毎日を過ごしていきたいと思います。
では
それは、経験したことがないくらいの谷を経験したものだけが高い山に登れる」
これはあるサッカー選手の言葉です。
いまの状況の試練など絶対にない方が良いけれど
なんとかみんなで乗り越えていきましょう。
#2 みうらです。
人生とは分岐点の連続であり
日常生活においてさまざまな分岐点に遭遇し選択を迫られます。
それは、小さなことからその後の人生に影響を及ぼすほど重大なこともあります。
いま、振り返るといくつもの分岐点をむかえてきました。
初めての分岐点は小学生のときです。
※自分のプレーに満足いかずむつけているのが私です。(2列目右から2番目)
◆地元の中学に進学をし、部活に入りサッカーをする。
◆地元の中学に進学をし、クラブチームでサッカーをする。
◆私立の中高一貫校に入学をして、サッカーをする。
の3つ選択肢がありました。
これは、両親とも相談し、「中高6年間通う」ことを約束に
中学受験をし浜松開誠館中学校に入学しました。
入学をしてみると、勉強がついていけない。練習が想像以上に厳しい。
公式戦にも使ってもらえない。と自分の選択を間違えのかもと思っていました。
3年生になると徐々に試合にでることができましたが、レギュラーの立ち位置をつかみ取れず中学サッカーを終えてしまいました。
そして次の分岐点です。
◆そのまま進学し、サッカーをする。
◆違う環境でサッカーをする。
の2つの選択肢があり、約束したことや高校選手権に出場するためにも
そのまま進学することを選択し、浜松開誠館高校に進みました。
2年生から試合に出たり、出なかったりの立ち位置となり
3年になってもこの立ち位置が変わることなく
高校選手権も県予選で負けてしまい、出場することができず
高校サッカーが終了しました。
中学生のときは開誠館に進学したことを失敗したと思っていましたが
ここで振り返ったときにやりきった感やサッカーに打ち込んで充実していた日々から開誠館を選択したことは間違ってなかったと実感することができました。
次の分岐点は大学進学です。
周りには高校卒業で働く人たちもいましたが、自分は大学進学しか選択肢がありませんでした。
どこの大学に進学しようか模索しているといろいろなご縁と運が重なったこともありましたが、なぜか全く迷うことなくあっさり決断することができ「愛知学院大学」に進学しました。
おそらく高校の選択をした自分は間違っていなかったと確信があったこととこのまま突き進んでみようという自信があったかと思います。
大学では1年生から試合にでることができ、全国3位も経験することができました。
自分に自信を持つ。ということが大切なのだと感じました。
更なる分岐点です。
4年生になると更なる選択しなければなりません。
◆サッカーを止め、就職をする。
◆サッカーを続ける。
運がよく「ソニー仙台FC」に加入することができ、サッカーを続けることを選択しました。
そしてサッカーをやりたくても出来ない人たちがいる中でサッカーをすることが出来、幸せを感じています。
今後もいくつもの分岐点に遭遇するかと思いますが、そこで分岐点を意識したときはマイナスの感情を持っていると思います。
それでも自分の選択に責任を持って振り返った時に「あの選択は、正解だった」と
思えるように毎日を過ごしていきたいと思います。
では